プロフィール

はじめまして。

カウンセラーの

かなざわみおです。

 

現在2人の子どもを育てながらHSP・アダルトチルドレン専門カウンセラーをしています。

 

専門的なカウンセリングを受ける場合にはクライアントのあなたと、カウンセラーの私との相性が非常に大切です。

 

「カウンセリングって、どんな人が対応してくれるんだろう・・・」と不安になってしまうこともありますよね。

 

セッションでは、ご相談者さまが、できるだけリラックスしてお話ししていただけるよう心がけております。

 

少し長いですが、お付き合い頂けたら嬉しいです。

 

プロフィール

・1985年 愛知県に生まれる

HSP気質の要素が強く敏感で落ち着かなかった子ども時代

・小学4年生から運動部で厳しすぎる指導を受け高校卒業までスポーツ三昧

・普通科高校を卒業後、美容専門学校へ入学、卒業

美容師免許を取得後、大型サロンに就職

ある衝撃的な出来事をきっかけに退職、職業を転々とする

心に闇を抱えたまま朝から晩まで働き続ける

・27歳の時に一児の母となり産後うつになる

・30歳の時にワンオペ育児の渦中で二児の母となり身も心もボロボロになる

夫との離婚を考え始め子ども二人を保育園へ預け働き始める

・フルタイム勤務で貯金だけが心の安定剤という悲しい現実を目の当たりにする

・仕事と子育てのストレスで精神が限界に達し人生初のカウンセリングを受ける

薬は飲まずカウンセリングで心身ともに回復、ガラリと変貌をとげる

人間関係が好転し家族全員が生き生きとし始める

・数々のパート勤務や正社員勤務を経て300万円以上の自己投資をする

・精神世界について学びカウンセラーとして起業をする

 

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HSP気質の要素を持ち車酔いが激しかった幼少期

3歳まで言葉少なめに育った私はHSP(Highly Sensitive Person・生まれつき感受性が強く非常に敏感な気質を持った人)の要素を持ち幼い頃は、光、におい、音に敏感でした。

 

分かりやすい症状では、においが原因の頭痛車酔い一度、耳にした音楽が頭から離れなかったり天気の良い日には光が眩しく外に出ることが辛く感じることがありました。

 

(※子どもの場合は総称してHSC(Highly Sensitive child)と呼ぶ。)

 

人の気持ちに敏感で「恥ずかしがり屋」「怖がり」「臆病」という印象を与えることが多く小学生の頃から絶えず大人や兄・姉たちの目を気にしながら感情を素直に表現できない子どもでした。

 

私の一つ下には妹がいた為、物心つく前から我慢することが当たり前。

 

子どもたちの主張を母は1人で受け止めなければならずいつも忙しそうで、ときに激しく怒りの感情を表していました。

 

自分が母親となった今でこそ親の大変さを理解できますが

 

母が望む答えを言わなかったり人前で上手に喋ることができないと機嫌が悪くなり私の自由な発言に対し

 

「そうじゃなくて、〇〇でしょ。」と、毎回セリフの言い直しをさせられ

 

親の愛情だと頭では分かっては居たものの心は追いつかず離れていく一方で当時は否定されたと受けとってしまい喋ることに対してますます自信を失くしていきました。

 

そして自己表現することを恐れ行き場を失った自分の気持ちを一つ下の妹にぶつけたりしては母に叱られるということを繰り返していたと思います。

小学4年生からスポーツ三昧の日々

小学生になると習い事をすべて辞めて部活一筋に。

 

家では過干渉の母を避けるようになり学校での出来事や悩みを話せる人はおらず感情をとにかく周りにバレないようにポーカーフェイスを貫くことに必死。

 

周囲からは落ち着いてる・冷静と言われたけれど実際は、誰かに怒られるんじゃないかといつも何かに怯え、失敗を恐れ、小学生にして感情を「なかったことにする」プロでした。

 

笑い方もよく分からず表情に乏しかったです。

 

唯一楽しめる場所だった部活動でも女性顧問の指導が厳しく当時スポーツの世界では当たり前とされていた体罰や言葉の暴力を受ける日々の中、周りに信用できる大人はいません。

家庭に自分の居場所がなかった学生時代

家庭環境は兄弟が多い分、揉め事も多く

ビールを飲んで怒鳴り散らす父

思春期真っ只中で非行に走る兄

私や下の妹たちの運動会の途中

バイク事故に遭った兄のもとへ走る

パニック状態の母・・・

 

幼い頃から悲惨な状況がたくさんありました。

「この家族の心の問題は私のおじいちゃんおばあちゃんの代から続いているのではないか。親の育った環境にもまた問題があったのではないか。」

虐待とは身体的暴力だけではないんだなとなんとなく悟ったのは中学生ぐらいの時だったと思います。

私は母に深い悩みを相談したり心を開いたことが、ほとんど無く表情豊かで自由な発言をし毎日楽しそうに過ごしている周りの友達を見ては

 

「優しいお母さんに育てられていいな」

「兄弟が居なくなればいいのに」

 

という思いばかりが募っていき、ある日心の中に溜まっていた寂しさ・悲しみ・苛立ちが爆発。それは小学校高学年から中学生にかけてのことでした。

 

 

 

家で過ごす時間は極端に減り、家族と鉢合わせないよう外で時間を潰したり、友達の家に泊まらせてもらっては親に連れ戻されるという生活を送りました。

 

日常の辛さから逃れたい気持ちを持ちながらも学生時代は部活に打ち込み心の奥底にある寂しさや悲しみ、苛立ちといった感情に長い間フタをして見てみぬふりをして過ごしてきた私は、母親や年上の女性に対し

 

「そんな人間になりたくない・・・」

 

と反発や対抗、敵対心といった気持ちを自分でも気付かぬうちに抱いており中学生の頃になるとさらにその気持ちが強くなっていたのです。

毎日パワハラを受けたことで上司に対し拒絶心が芽生える

内面をひた隠し生きてきた私にとってファッション、ヘアで自己表現できる美容の世界はかなり魅力的だったため

 

中学→高校→専門→美容師免許取得後、大型美容室に就職。

 

その会社は沢山の人がいる環境でした。集団が苦手という自分の特性は後から知ることになるのですが新人教育では毎日パワハラを受け長時間労働をしながら

 

「お客さんとお話しするのは楽しく美容の業務も好きなのになぜ?人間関係でこんなに苦しい気持ちになってしまうのだろう・・・」

 

 

と、この場から早く抜け出したい一心でしたが

当時は辞める勇気もなかったので働き続けました。

 

 

 

特に嫌味や八つ当たりの激しい女性の上司に対して拒絶心が芽生え人間関係の濃い、美容室での仕事は私にとって毎日辛いものでした。

 

女性に対する嫌悪感と恐怖心

今思えば、これが自身の中にある女性性へのコンプレックスの始まりだったと思います。

 

またアダルトチルドレンの人の中には

・女性として見られることに違和感を覚える

・それを気持ち悪く感じる

・男性と仕事の話をする方が楽

・仕事はできるけど恋愛がうまくいかない

 

などの特徴があります。

 

きっかけは様々ですが自分の中にある幼少期の体験や、嫌な記憶、不快な感情が知らぬ間に大きくなっていき思春期になって、そのような形で現れたのだと心理学を学ぶうちに知りました。

 

心のモヤモヤが一つずつ、ゆっくり解消されていき、ますます「心の世界」について興味を持つとメンタルケアの方法や自己分析など自分で自分を癒すことを日常的に勉強するようになり

 

「この生きづらさは、いつまで続くのだろう?」

 

という不安や

 

大人になった今でも

 

「職場での人間関係が辛い・・・」

 

と感じる自分自身の心の苦しみから早く解放されたい

その一心で暇さえあれば本を読みあさり自分の心の状態をどうしたら保てるのか模索し続ける日々。

 

人間が嫌いで対人恐怖症、被害妄想が強めで自分の家族すら「居なくなればいいのに」と思っていた自分がなぜ人と接する仕事を選ぶのか分からず自暴自棄にもなりましたが、心理学を学び

 

「ああ、人と関わりたかったんだな」

「本当は人が好きなのに傷つく自分を守っていただけ」

「深く人と繋がりたい気持ちはあるのだ」

 

冷静に判断・自分を客観視することがいつしかできるようになっていました。

父との死別・転職・出産

就職して3年目に他店舗への移動があったり、勤務中にもらった連絡で父の死を知ることになるなど、当時いろんなストレスを同時に抱えていた私は心身のバランスを崩しついに精神の限界が体に現れ始めます。

 

・仕事中なのに涙が出て止まらなくなる

・無気力で朝は起きることも出来ない

 

という状態になり退職を決意。本から得た知識だけでは心に空いた穴を埋めることができず周りの人がどんなに優しい言葉をかけてくれても受け入れることが出来なくなっていました。

 

その後

 

どうにか自分を変えたい・・・

対人関係が上手くなりたい・・・

 

と、ブレーキの効かなくなった私の気持ちは暴走。別の仕事への転職。

無知な私は目の前の現実・現状から脱出することで解放されると信じて疑わなかったのです。

 

もともとコミュニケーションが苦手でしたが次に選んだ仕事も毎日スタッフとの連携が必須なサービス業。睡眠時間も休暇も少ない中無理に元気な自分を作り明るい人を演じていました。

 

本当の自分は内向的な性格なのに変わりたい気持ちが強すぎてだいぶ無理をしていたと思います。

 

「私には無理だ。やりたくない・・・」

 

という心の声に耳を傾けず、そこでもひたすら頑張り続けてしまい心身ともに疲弊し、2度目の挫折。周りの人たちは皆、明るく楽しそうなのに私だけ、どうして人間関係がこんなに苦しいのか分からず仕事が続かない自分を責める日々。

 

バイトを転々としニート生活を経て仕方なく流れ着いた美容室への再就職を果たし現在の夫と出会い結婚・出産。27歳の時に一児の母となりました。

 

親になっても続いた生きづらさ

子どもを育てていく過程で分かったことですが実社会で働く際に子育てとの両立で直面する壁が、いくつかありました。

 

これまでは時間や条件に臆することなく決めてきた仕事も小さい子どもを育てながら働くとなると、勤務地時間帯急な発熱による休暇に対する会社側の理解、過度なストレス環境ではないかどうかが大事なポイントでした。

 

それは子育てという体力仕事を、お母さん自身が心身ともに健康な状態で取り組むことができる状態でなければ、そばにいる子どもにも影響を与えかねないと痛感したからです。

あとで分かったHSPと転職の関係性

私自身、母親になってからも色々な職種を経験したのですが

HSP気質という自分の内側にある特徴もまた、転職を繰り返す一つの要因となりました。

 

夫ともうまくコミュニケーションが取れず二人の子どもを抱えて体が辛くなっても

 

「助けてほしい。」

 

の一言すら言うことができません。幼い頃の私の母親像は男性は外に出て働き女性が家事・育児をするというもので一人で出来て当たり前

 

手伝って欲しいといったところで何も変わらないのでは・・・

 

そのくらい自分でやれと言われるくらいなら初めから一人で全てをこなす方がマシだと思ってしまっていたのです。助けを求める以前に、相手から傷つく言葉を言われないように自分を守り気づけば誰にも何も言えなくなっていました

そんな、人に甘えることができない自分の性格がさらに私を苦しめ離婚したいとさえ思うようになり経済的自立を目指し外へ働きに出ることを決意

 

・飲食店

・工場

・日雇いの派遣

・倉庫作業

・運送業

 

 

仕事が続かない性格とはいえ子どもを育てるにはお金を稼がなければならず当時、離婚したいと思っていた私は尚さら必死でした。そして、あらゆる職種を経験し分かったことは、自分のペースで進められる仕事ではない職種の場合どれを選んでも生きづらさを感じてしまうということでした。

 

だいたい一年くらいの間隔をあけながらトータルで10回は転職しています。

 

中には一年も続かない仕事もあって、仕事内容はどれも人並みにこなすことができましたが決まって人間関係で苦しくなってしまいました。

 

特にパート時代は年齢が上の女性の方たちに苦手意識を感じており、周りの人に過剰に気を使ったり話をとことん合わせて嫌われないよう頑張りすぎて人付き合いはとても辛かったです。

 

人に合わせすぎると次第に付け込まれたり嫌味を言われたりすることが必然的に増え、自分自身が一番それを分かっているからこそ、どんどん心が苦しくなっていくという悪循環で「どうせ誰も分かってくれないだろう」と諦めの境地で過ごしてきたので周りに深い悩みを相談できる人はいませんでした。

 

最初は

 

「社会に合わせられない自分のせい」

「こんなこと言ったら家族にガッカリされそう」

「甘えていると思われる」

 

と思っていて誰にも話すことができず、いつも平然を装っていました。

 

継続することが素晴らしいという日本の常識に縛られ続けたのですが、ある日プツリと糸が切れ社会に出て働くことをやめていた時期もあります。

 

でも「本当は人と繋がりたい」「誰かの役に立ちたい」と思った時に最終的に働ける場所がどこにもない。しかし、このような自分でもできる仕事はないだろうかと必死にもがき続け辿り着いたのが今までの自分の傷ついた心をまず癒すことから始まるカウンセラーへの道でした。

蘇る幼少期の記憶と育児の苦悩

知識だけ詰め込んで頭がパンパンの状態になっても子育てが上手にこなせるというわけではありませんでした。

 

 

自分の中の理想像である「いいお母さん」を目指すほど壁にぶち当たることが多かったと思います。

 

初めて生まれたての赤ちゃんを抱っこしたときの感動。小さな生命の誕生からこの子を守ろうと必死に朝昼晩、慣れない授乳の毎日。眠たくても休みなく毎日続く赤ちゃんのお世話。

 

すくすくと健康に育ってくれて元気に生きててくれることに幸せを感じながらも自分自身の体の変化や不調にも気づかないほど忙しく時間が過ぎていき、いつしか自分のやりたいこと、一人になりたい気持ちを我慢して子どもを優先することが当たり前だと思い込んでいました。

 

思い返せば「いいお母さんでいたい願望」を手放せなくなっていたのです。

 

 

周囲の目を気にし、正解のない子育てをしていく中で私自身の本心を打ち明けられる人はいませんでした。

 

疲れ果てて人に会う気力もない、誰かに相談して

 

・みんな通る道

・母親なんだから

 

という言葉で片付けられたら・・・と思うと傷つくことが怖くて人に話す勇気も出ません。

 

ママ友付き合いも私にとって心地よいと感じられることは少なく成長度合いの比較や何気ない会話が子どもたちを傷つけてしまっていたら嫌だな。と感じていたので

 

「相手に気を遣いすぎたり無理してまで人付き合いするのを辞めよう」

 

 

と決意してからは以前より楽になりました。それらもまた、心理学を取り入れたことによる人間関係の柵(しがらみ)からの解放でした。

自分を救った一筋の希望の光

心身ともに疲弊し人生に対し希望を持てなかった辛く苦しい時期を経て

気がつけばカウンセラーとしてお悩みを抱える方々に

寄り添う立場になるという目標が実現しました。

「あの時カウンセリングを受けてなかったら、どうなっていただろう?」

 

ふと立ち止まった時、そんなことを想像したりしますが

恐らく出口のないトンネルを今も一人歩きながら必死に働き

子どもの成長が私の全てという概念にしがみついたまま

 

「わたしの人生は・・・?」

 

と人生迷子になっていたはずです。

人生を変えたカウンセリング

これまで、なんのために生きているのか。

 

「自分が心から楽しめる仕事はこの先見つかるのだろうか。」

 

と人に対して絶望感や、怒り・悲しみを抱いて生きてきた私のもとに子どもが生まれてきてくれて再び生きることへの勇気が湧きました。

 

いざ自分が親になると可愛いばかりでなく様々な苦悩と葛藤の連続です。気づけば自分がされて嫌だと感じていたことを子どもにしてしまったり、いい親で居たいと思えば思うほど、現実を目の当たりにして落ち込んだり。

 

そして思い出せすことさえも難しいほど沢山の職場を経験し数々の仕事をこなす中

ある日、正社員勤務を退職する日がやってきました。

 

それを機に転職や起業を考え始めると同時期に心理カウンセリングを受け

今までの苦しみや生きづらさが徐々に緩和されていき

 

「完璧でなくてもいい」

 

と心から思えるようになったのです。

 

自分と向き合うことの大切さを知り子育てにおいても以前のように

 

いいお母さんでいなくては

 

と自分を追い詰めることもしなくなり心が、すーっと軽くなっていったのを覚えています。

そして、精神にまつわる著書を隙間時間に読んだり通信講座で心理学を学び起業講座を受けたりと「好きな分野」で活動することができるようになりました。

理想の未来

かつての自分が感じていたような

孤独不安

 

✔️誰にも話せなくて辛い、苦しい

✔️コミュニケーションは好きだけど大人になるにつれて億劫になった

✔️いつも人との会話で相手に合わせすぎる

✔️気づけば嫌味や自慢話ばかり聞かされている

✔️不快な思いをしていても表現したり相手に伝えることができない

✔️子どもの為だと我慢して苦手な人と付き合い続けている

✔️親になってもやりたいことがあるけれど周りの目が気になる

✔️世間体を気にして仕方なく夫婦関係を続けている

✔️家族とどのようにコミュニケーションをとったら良いのか分からない

 

といったような心の悩みを抱えていらっしゃるあなたと

カウンセリングで繰り返しお話しをさせていただく過程で

幸せを感じながら子育て・家族との関わり合いの日々を送る事ができる人を1人でも多く増やすことを使命とし

こころの悩みを抱えている人たちが

ありのままで生き生きと、この先の人生を歩んでいく事ができるよう寄り添います。

 

1人のご相談者さんが変わることで、その家族にもポジティブな影響を与える事ができ、さらには社会全体が希望に満ち溢れた状態になっていく。

 

そんな未来を目指します。

最後まで読んで下さったあなたへ

 

ここまでご覧いただき誠にありがとうございます。

あなたとお話し出来ることを心より楽しみにしております。

カウンセリングルームへのアクセス・ご予約はこちら。

 

HSP気質ママの

幸せバランスセラピー

かなざわみお

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